2019/6/3

 

― PROFILE ―

 

北澤 豪(きたざわ・つよし)氏


1968年東京都生まれ。中学時代は読売サッカークラブ・ジュニアユースに所属。修徳高校卒業後、本田技研工業に入社。91年、古巣の読売に移籍し93年のJリーグ開幕を迎えると、主力としてヴェルディの2年連続年間王者に貢献。日本代表でも国際Aマッチ59試合に出場した。引退後はメディアで活躍する傍ら日本障がい者サッカー連盟会長、JICAオフィシャルサポーターとしてサッカーの普及・発展や社会貢献活動に取り組む。

 

 

 

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今回は日本のサッカー界を支え、引退後はサッカーを通じて社会的な活動に積極的に携わっている北澤豪さんにお話を伺います。

まずは、日本サッカーリーグ(JSL)本田技研時代から日本代表で活躍し、Jリーグ創設後は三浦知良選手やラモス瑠偉選手とともにヴェルディの黄金時代を支えられました。そんな北澤さんでも、これまでサッカーをやめたいと考えたことがありますか?

 

 北澤 

一度だけありますね。本田技研に入って最初の2年間、一度も試合に出られなかった。ベンチにすら入れなかった。ここに勝負しに来たのに、これじゃどうしようもないなと思った。当時の監督は、のちにアントラーズの初代監督になった宮本征勝さん。生意気だったから、ずいぶん怒られました。3年目からようやく使ってもらえるようになったけど、全試合途中出場。全試合だからね。さすがにそれは、メッセージだと気がつくよ。何かが足りないんだって。その頃から、積極的に先輩の話を聞くようになったし、意見を言う前にまずは要求されたことをやろうと考えるようになった。4年目からようやくメンバーに定着してリーグ得点王。おかげで代表にも呼ばれるようになりました。

 

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91年に読売クラブに移籍、93年のJリーグ開幕を迎えます。当時のヴェルディは超のつく個性派集団でしたから、ずいぶん大変だったのではないですか?

 

 北澤 

もともと中学まで読売のジュニアユースにいたから、本田に行く時もそこで修行していつかは読売に戻りたいという気持ちがあった。得点王をとった後いろんなクラブからオファーが来て、偉そうだけど選べる状況だったんだよね。そのなかで読売は、一番条件が悪かった(笑)。ただ子どもの頃から一番憧れたチームは読売だったし、若かったからポジションも何も約束されてない場所で思い切り挑戦したかった。

すごかったよ。最初のうちは練習でも、パスなんてまず来ない。みんな新入りに活躍させたくないから。ラモスさんなんか、練習でも本気で削りにくるからね(笑)。チーム内での競争がとにかく激しかった。移籍して3カ月ぐらい経った頃かな、カップ戦の決勝でゴールを決めて勝ったことがあって、その時「ようやく仲間になったな」と言われた。思わず背筋が伸びましたよ。チームに何かをもたらして初めて仲間なんだ。すげーな、この人たちいつもこんな気持ちで戦ってたのか、プロ意識の塊だなって。

 

 

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その後もヴェルディひと筋でプレーし2003年に引退。現在は日本障がい者サッカー連盟会長を務めるなど、引退後の北澤さんは一貫して社会や次世代のための活動に取り組んでおられます。そうした意識はもともと高かったのですか。

 

 北澤 

たくさんの人に応援してもらっているうちに、サポーターのため、地域のため、みんなのためにという思いが自然に強くなっていった感じかな。ただ社会貢献や地域貢献といっても、ずっとサッカーをやってきた人間だから、まずはサッカーを入り口に考える。

障がい者サッカー連盟の仕事も、その人たちがかわいそうだから助けてあげましょう、なんてつもりは全然なくて、みんなにサッカーを楽しんでほしいだけ。障がいのある人も、途上国の人も、小さな子どもたちも。だから障がい者サッカー連盟も、途上国支援も、子どもたちのサッカースクールもやる。同じなんだよ。サッカーの喜びをみんなに知ってほしい。原博実さん(Jリーグ副理事長)とは、地域のJクラブに男子チームがあって、女子チームがあって、障がい者やシニアのチームがあって…というのが理想だね、とよく話す。だって社会は、そういう人たちでできているから。

 

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そうした取り組みを続けて、最終的に達成したい目標がありますか。

 

 北澤 

もちろんW杯優勝です(笑)。それには今の選手だけ鍛えたってダメなんだ。さっきみんなでサッカーを楽しみたいと言ったけど、それには平和じゃなきゃいけないし、環境だって良くなきゃいけない、女性も障がい者もみんなが気軽にサッカーを始められる世の中じゃなきゃいけない。やることはいっぱいあるよ。サッカーが社会に何かを与えることができて初めて、社会もサッカーに力をくれるんだと思う。

強くなるってそういうことでしょ。時間はかかるけどね。だから「Jリーグ百年構想」って最初に考えた人たちはすごいと思う。百年ぐらいかけるつもりで一歩一歩取り組んでいくしかないことだから。

 

 

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そのあふれるような情熱が尽きることはないのですか?

 

 北澤 

ないです。マグロだから(笑)。「歩みをとめるな」と言われなくても止まれない(笑)。成し遂げていないことがたくさんあるからね、自分も日本も。人一倍くやしい思いをした分だけ、人一倍それを生かして生きていると思う。そうでなくちゃいけないしね。だから5年後、10年後には今とはまた全然違うことをやってるかもしれない。北澤、今度はなに始めたんだよ、ってずっと言われるようでいたいと思います。

 

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たくさんの熱い言葉をありがとうございました。これからの北澤さんにも期待しています。

 

写真提供:朝日新聞社